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毒父母へ、そんなに体裁が必要なの?

中学は、数校の小学校から生徒は通学してくる。
小学校からの持ち上がりの同級生のせいで、私はいつも一人だった。
一人ぼっちには慣れていた。
休み時間も1人で机に向かっていた。
中学2年の時、誰かの声が聞こえてきた。
 「何、百面相してるの?」
 「ねえ、聞こえてる?」
その声で、そっちを見ると2人の男子が私の顔を覗いていた様だ。
 「面白いねえ」

誰にも声を掛けられず3年間を過ごすものだと思っていた私にとって、その男子2人は稀有な存在であり、貴重だった。
室内履きを隠されたり、教科書を隠されたり、破られたりしていた私に、誰が声を掛けてくるのか。
本当に、私は驚いたものだった。


そして、アルバムの話は中学生、高校生になっても続いていた。
だが、高校生になると何百回も聞かされていたお蔭で頭の中に蓄積されていた。
だから、なんとか躱していた。
 「覚えてないのか?」
 「(煩い)よく分からないのですが、どうしてでしょう?」
その言葉に、毒父は、しょうがないなと溜息を吐き、話し出した。
それは、あたかも自分の話をよく聞けよという前提での自慢話だった。


毒父が居る時の夕食時。
いつも話は仕事の事だった。
自慢話から始まり、愚痴で終わる。
そんな話を聞かされ、お前はどう思う?と振られても困る。
実際、困っていた。
毒母に振る時もあり、毒母は何とか返していたような覚えがある。

食事は、いつも一緒に食べるもんだと言われ続け、帰りが遅くなる時は安らぎを感じていた。

良い子ちゃんの私の言葉に満足した毒父は、御機嫌になり酒を飲む。
毒母は身体が弱いのもあり布団に寝ている。
そんな印象があり、私にとって家は家でなくなっていた。


高校入学の時、あまりにも成績が振るわないのもあり塾に行かせられたが、付いて行けるわけもなく、直ぐに辞めた。そんな私に、家庭教師を付けてきた。
 「良い所のお嬢さんで頭もよく礼儀正しく優しい」

毒父母の言う、そんな家庭教師はお姉さん的な存在だった。
玄関とキッチンの中間にある部屋で、教えてくれていた。 
毒母が耳を澄ませて聞いてるのは分かっていた。

分からない所があっても分かりませんとは言えなかった。
言ったら、家庭教師が帰った後にお仕置きがくるからだ。
 「どうして分からないと言うの?」から始まり、「あんなに丁寧に教えてくれてるのに分からない所があるだなんて、あんたはバカか」と、よく言われていた。

だから何も言えないでいた。
その女性は根気よく教えてくれた。
そのお蔭で、何とか無事に高校を入学出来た。

それでも毒父母は何も言ってこない。
言ってくる言葉は、これだ。
 「こんな底辺の高校なんて、学校じゃない」
 「どうして進学校はダメなんだ。でも浪人だなんて、それこそ体裁が悪い」
 「良いか。どこの学校に行ってるのか、聞かれても答えるなよ」
 「やっぱり、橋の下で拾った子はダメな子なのね」
 「こうなると、下の子に望みを掛けるか」

そう、私には4学年下の弟が居る。
居るのだけど、お互いに姉弟として見てこなかったし、話しもしてない。
だから、姉弟という概念が薄い。
無いに等しいのだ。





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