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毒父母へ、私の選んだ道は…、選んだ人は、こんな人。惚気有り(*´∀`*)

毒父が勝手に決めてくれた会社を辞めて、私は自分で探すことにした。
家から出たくても出れないので、夜遅くまでやってる所。

原付の免許を取り、原付を買った。
その原付で仕事場まで通っていた。

スポーツセンターのコーチを正社員として働いていた。
案の定、毒母は愚痴を零していた。
 「せっかく家に居るのに、どうして夜遅くまで仕事するの。誰がご飯を作るの。いつまでも親が居ると思うなっ」
黙っていたら、又聞いてくる。
 「何とか言いなさいよっ」

そう言われると、返事をしていた。
愚痴だけなら黙ってても何も言われなかったからだ。
でも、私はこう返していた。
 「私のご飯は要らないから、2人だけの食事を作って食べて下さい」

その当時の私の食生活は決まっていた。
朝は食べずに、昼前に職場近くのお好み焼き屋で食べ、閉館時間が22時を過ぎるので、夕食は1時間の休憩時間に食べていた。
だから、別に家で食事を食べなくても良かった。
28日制で、月末は連休になる。
その連休を利用して長崎に遊びに行ったり、神戸、大阪、名古屋へと一人旅の再開だ。
宿は決めない。
その日に決めていた。

縁談話を勝手に決めてきた毒父母に腹が立ち見合いに行かなかったら、「親の顔に泥を塗るつもりかっ」と殴られ、その痣を隠しきれるものでなく、仕事を辞める事にした。その後、2本目の縁談に連行された。


その後、次の仕事が決まるまで隣の市の駅ビルにある某スタジオでエアロビクスを習いに行き出した。身体を動かすことが好きで、仲の良い人が数人ほど出来た。
一緒にディスコに行った事もあった。
2時間弱のエアロビクスだったけれど、40分程ジャズダンスを取り入れていた。
休むと追いついていけないのだけど、でも復習としてやってくれていたので何とか追い付いていけていた。何人かは言ってきた。その言葉が30年以上経った今でも忘れられない。
 「あなたは休んでも、すぐに追いつくから良いけどね」
 「ほんと、覚えが良いよね」

ダンス仲間と居る時は楽しかった。
その一人に英会話サークルを紹介され行き出した。
毒父母は愚痴ってくる。
 「英語なんて必要じゃないっ」
 「それよりも良い人を見つけなさいっ」

それでも私は続けていた。
アルバイトをしながらダンスを習いながら英会話サークルに行きながら、就職先を探していた。
そして、入社した。
当然ながら、帰りは遅い。
繁忙期は休みは取りにくいが、それでも定時の6時には終わって週2回の英会話サークルに通い、ダンススクールにも通っていた。

ボーイフレンドも出来て、充実していた。
その人と英会話サークルに行く様になった。
帰りは送ってくれる。


ある日、毒父母は言ってきた。
 「お前は、男と付き合ってるみたいだな」
 「何も知らないと思いなさんな」
 「何処に住んで、どんな男だっ」
 「帰りも遅いし、休みでもダンスとか行くし。家でご飯も作らなければ食べもしない。女なら娘らしい事をしなさいっ」

だけど、それだけで終わった。
私としては「出て行け」という言葉を待っていた。

そのボーイフレンドとは違う仕事が決まったという事で自然消滅した。
私は、思いを引きずっていた。
その後、結婚相手が英会話サークルに入会して告白されたのを機に付き合いだした。

今度は親に気取られない様に。

そして、結婚する前の年、香港でプロボーズを受けた。
毒父母に会わせると、立派な経歴を持っている男に、ぐうの音も出てこなかった。
言える言葉は、これだけだった。
 「年齢が離れている」
 「転勤族だなんて」

そんな2人に、旦那は一言だった。
 「一緒に幸せになりたいと思ってます」
私を守ってくれそうな体格をして、言ってくれた。
その言葉が嬉しかった。

ねえ、旦那さん。
あの時の言葉を、もう一度、いや何度でも言って欲しいな。



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