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毒父母へ、「親子の絆」って、何ですか?

自分から電話しようという気は、全く無い。
毎年の様に、親にも中元や歳暮を贈ってこい。
母の日も贈ってこい。
盆、正月は帰省して、親子揃うものだ。

そういう事を言われ、「はい、そうします」と頷くバカが何処に居る。
何も言いたくない。
出来るなら、心穏やかに過ごしたい。

子供時代、私は親を親として見てなかった。
親とは、自分の権力を振りかざして子供を良い様に扱う。
自分の体裁が悪かったら怒鳴り散らす。
一言でも反論しようとしたら「黙れ!」と言って押し入れに押し込める。
笑いの無い、子供として見てくれてない時期を過ごしていた。

そんな人間に、今度は「グランマが認知症になったから介護しろ」と言ってきだした。

当時、60歳過ぎの毒母は、まだしっかりと言葉を言えていた。
 「早く、帰って来なさい」
 「無理です」
 「良いから、早く帰れと言ってるのっ」
 「どんなに早くても、5時間掛かるので無理です」
 「仕方ないから、1時間でも早く帰ってくるのよ」
 「新幹線に言って下さい」
 「なら、そうするわ」

こんなやり取りが何度も何度もあった。
本当に新幹線に言ったのがどうか分からないが、私は行く気無いから。
だから断る言葉を探していた。

その時から、私は「帰省」と言う言葉は使わなくなった。
 
 「行く」

旦那の実家には帰省という言葉は言い易いが、自分の実家には当てはまらない。

帰省?
冗談じゃないでしょう。
誰が、あんた達のいる所へ行くもんか。

こういう時、転勤族って便利ね。

でも、その当時、毒父は60代後半。
まだまだ元気真っ盛りなお年頃だったのもあり、1人で介護していた。
毒母は、まだ元気で動いていたからだ。
一緒に旅行に行ったり、食事に行ったりしていたみたいだ。

その事を、一々、電話掛けて言ってくるようになった。

ほんとにウザい。

まだ要介護1だった軽度の時は、嬉しそうに声が弾んでいた。
それが、3年もすると一気に要介護3になった。
声のトーンが低くなってる。
 「お前は、母親が認知症になって介護をしないといけないのに、帰ってくる気は無いのか」
 「こっちの言う事は聞こえてるから、まだ良いけど。もう、普通に喋れないんだぞ。頑張って介護している父親に慰めの言葉を掛けようと言う気は無いのか」
 「たまには帰って介護をしろ」
 「そういう気が無いのなら帰ってくるな」

挙句の果てには、こうも言われた。
 「自分の母親が認知症になって大変だと言うのに、お前は何とも思わないのか」
 「ろくでなしの人でなしが」
 「親子の絆は無いのかっ」

腹が立ったから、言ってやった。
 「親子の絆とは、どういう事ですか?」
 「やっと声を出したかと思ったら、それかよ。テレビでもやってるだろ」
 「テレビ見ないから、分からないです」
 「何で見ないんだ」
 「絆って、どういう事を言うのですか?」
 「決まってるだろ。親子として、親として、子供として信じ信じられてるからこそ、そういう思いが沸き上がるものだ。お前には、親子としての絆は無いのかっ」
 「ありません」

きっぱり言ったら、電話が切れましたね。
だって、そうでしょう。
お互い、そんな感じで育て、育てられた事が無いのだから。

詰られ、殴られ、反抗しようとしたら力で捻じ伏せてくる。
しかも、押し入れに押し込められて「反省文を考えろ。合格する文が言えるまで、そこから出さん」と反省文を強制されてきた。

どこをどうやったら、親子の絆は生まれるの?
誰か教えて。



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